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死は 終わりではない 新しい 世界への 旅立ち 「生きる」ことを考える時、死の問題を避けて通ることはできないと思います。生きているから死があり、死があるから生きるのですから、生と死は表裏一体だと思います。死とは何かを知ることにより「生きる」ことの意味がさらに鮮明になると思うのです。 死は終わりなのか、新しい生の始まりなのか、この問題は解明されていませんが、しかし、「死ぬことは終わりではない」という考え方があります。確かに、死によって肉体は消滅しますので、その意味では死によって生は終ります。少なくとも、肉体の生は終ります。 問題は、人間の心の部分、意識も終るのかということです。注目するべきは、死によって肉体の生が終った後も、意識は残っているという調査結果があることです。 レイモンド・A・ムーディ著「かいまみた死の世界」には、死後の世界をかいま見た人々の共通している体験を次のように書いています。 「わたしは瀕死の状態にあった。物理的な肉体の危機が頂点に達した時、担当の意思がわたしの死を宣告しているのが聞こえた。大きく響きわたる音だ。騒々しくうなるような音といったほうがいいかもしれない。同時に、長く暗いトンネルの中を、猛烈な速度で通り抜けているような感じがした。それから突然、自分自身の物理的世界から抜け出したのがわかった。しかしこの時はまだ、今までとおなじ物理世界にいて、わたしはある距離を保った場所から、まるで傍観者のように自分自身の物理的肉体を見詰めていた。この異常な状態で、自分がついさきほど抜け出した物理的肉体に蘇生術が施されるのを観察してといる。精神的には非常に混乱してといた。 しばらくすると落ちついてきて、現に自分がおかれている奇妙な状態に慣れてきた。わたしには今でも『体』が備わっているが、この体は先に抜け出した物理的肉体とは本質的に異質なもので、きわめて特異な能力を持っていることがわかった。まもなく別のことが始まった。誰かがわたしに力をかすために、会いにきてくれた。すでに死亡している親戚とか友達の霊が、すぐそばにいるのがなんとなくわかった。そして、今までに一度も経験したことがないような愛と暖かさに満ちた霊―光の生命―が現れた。 この光の生命は、わたしに一生を総括させるために質問を投げかけた。具体的なことばを介在させずに質問したのである。さらに、わたしの生涯における主なできごとを連続的に、しかも一瞬のうちに再生して見せることで、総括の手助けをしてくれた。ある時点で、わたしは自分が一種の障壁とも境界ともいえるようなものに少しずつ近づいているのに気づいた。それはまぎれもなく、現世と来世との境い目であった。しかし、わたしは現世にもとらなければならない、今まだ死ぬ時ではないと思った。この時点で葛藤が生じた。なぜなら、わたしは今や死後の世界での体験にすっかり心を奪われていて、現世にもどりたくなにかったから。激しい歓喜、愛、やすらぎに圧倒されていた。ところが意に反して、とういうわけか、わたしは再び自分自身の物理的肉体と結合し、蘇生した。 その後、あの体験をほかの人に話そうとしたけど、うまくいかなかった。まず第一に、想像を絶するあの体験を、適切に表現できることばが全然見つからなかった。それに、苦労して話しても、物笑いの種にされてしまった。だからもう誰にも話さない。しかし、あの体験をしたおかげで、わたしの人生は大きな影響を受けた。特に、死ということについて、中でも、死と人生との関係に関するわたしの考え方に、大きな影響をうけた。」(レイモンド・A・ムーディ著「かいまみた死の世界」) このような臨死体験をみますと、生命は、肉の死だけでは終らないということだということが考えられるということです。誰も体験したわけではありませんが、少なくとも、「生命は肉体の死で終らない」ということも考えられるならば、「生きる」概念が広くなると思います。私は、「死は終わりではない」と考えたいと思います。その方が、現在と未来に希望をもって生きることができるからです。 |
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