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ここに 生きて 存在している 何と 幸せなことか だれでも「幸せになりたい」と思っている。しかし、なかなか「私は幸せだ」だと思っている人は少ない。よく、「お金さえあれば、幸せだ」と言う人がいる。本当にそうであろうか。私自身を振り返ってみると、お金と地位があったときが幸せであったかと言うとそうではなかった。 台湾で会社を経営しているとき、確かにこの世的には成功している。幸せであるはずと思ったが、実は地位もお金も維持するために神経を使った。何時の日か失うことを思って不安になった。地位やお金を獲得できても、それを維持する、また高くする、増やしていく事に関心がいくので、心が満たされることはない。心が落ち着かない日々であった。幸せとは言えなかった。 不思議な事に、会社もお金も地位も失ってから、かえって心が落ち着いた。失うものがないと思ったからであろう。そして、失ったものはもともと自分になかったものであったと気づいた。全てを失ったと思っていたが、自分に残されているものがあることに気づいた。それは、自分が生きているということである。まだ生きて存在しているということである。何という幸せなことかと思った。お金も地位もあるときには、考えても見なかった心境である。 幸せとは、自分が何かを獲得するものではなく、心の持ち方であることに気づいた。幸せとは、何かを持つことでなく、自分の存在そのものを感謝する心であると思う。今ここに生きていることに感謝する心があれば、それこそが幸せだと思う。 自分にあるものを考えて見ますと、何と多くを与えられているか知らされる。まず生かされていること、いのちが与えられていること、家族が与えられている、仕事が与えられていること、食べ物が与えられている、住むところが与えられている。自然が与えられている。数えていけば、何と多くを与えられているか、感謝の心に満たされる。感謝の心が幸せを呼び込むと考える。 感謝の心が与えられるには、物や地位やお金に執着しないことである。心がこの世のものに囚われないことである。心が開放されることである。 |
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