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何としても 生きる その意思が 死から 生へ転換する 最近、あまりにも痛ましい事件が多い。なかでも自分を他人に依頼して殺してしまうというニュースは悲痛の思いで聞いた。確かに、生きることが厳しい世の中である。でも、自分のいのちを他人の助けを得て抹殺するということは、自分の存在を自分から否定する最悪の行為である。決して許されるべきではない。 自殺を請け負って金儲けにするなど人間の業ではない、悪魔の仕業としか考えられない。それがネットで公開されているという、なんと言う世の中なのだろう。 「生きる」ことをもっと真剣に考えるべきではないだろうか。自分のいのちを大切にしなければと思う。私たちが誕生したということは「生きる」ためである。一人の人間が誕生する確率は、200兆分の一という、想像を絶する確率である。ここに存在しているのは奇跡的な存在である。 「生きる」ことが自分の存在を明らかにすることである。「生きる」とは、生きる意志を強く持つことである。生命力は意志力でもある。「どのような環境下でも、生き抜くという信念があれば、生きる力はよみがえってくる。 10年前になるが、私は肝硬変になった。医者は回復には一年以上はかかるという。肝臓がんになる確率が高いという。絶望的になるはずであったが、私は契約していた仕事の責任を果たすことに全力をあげることで、肝臓と戦うことにした。福岡での二泊三日の合宿研修は、引き受ける人がいなかったので、自分がやることに決めた。 研修の予定は入院して、一ヶ月目になっていた。なんとしても一ヶ月で退院しなければならない。食欲が全くなくなっていたが、一時間かけて食事をした。食事をすることが戦いであった。また、研修の準備のためベットの近くに関係図書を並べて気力で読んだ。 そのような私の姿を見て、部屋を掃除にきた係の方がこのように言った。「松本さんは、必ず回復してここから脱出できますよ」と。「どうしてですか」と聞くと、「病院にはいて、仕事をしている人はいません。どうしても生きて生還するという気力を感じますよ」と言われた。 私にしては、「約束した仕事をどんなことがあっても果たさなければ」と思っていたので、仕事の準備をすることは当たり前であった。一ヶ月たって肝臓の数値も下がったが、体力は回復していなかったが、私は退院することにした。医者には自宅で6ヶ月間の自宅療養を指示された。 しかし、私が病院を退院して向かった先は、羽田空港であった。そのまま福岡に飛んだ。今から考えると「なんと乱暴なことをしたものだ」と思うが、自分がなすべき責任を果たす使命感が、弱っていた体力をカバーした。そして、翌日から二泊三日の研修をやりきった。帰宅して妻に叱られたが、その後自宅療養することなく、仕事に取り組んだ。 私は決して自慢話をしているのではない。「生きる」とは、ここに存在している自分の責任を果たすことだと決意して、取り組むならば常識を超えた力が与えられることを伝えたいのである。 |
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